日記目録の解説

『(小城鍋島藩)日記目録』について

 小城鍋島文庫は、佐賀鍋島藩の支藩である小城鍋島藩に伝来した和漢洋書および藩政文書を収蔵する(『小城鍋島文庫目録』参照、)。和書のなかには、先に紹介した『葉隱』や『津島日記』などがあるが、ここに紹介するのは藩政文書の『日記目録』である。
 この『日記目録』は、小城鍋島藩の公務日記である『日記』のまさに目録である。『日記』が詳細で大部であることから、何時の時期かに、その必要性によりこの『日記目録』が作成されたと考えられる。ここに『日記目録』を紹介する意図も、その必要性、殊に藩政の全体把握・俯瞰への簡便性・利便性にある。これにより藩の諸情報、すなわち政治・経済・社会状況の大略が、その年月日の出来事として知りえる。そして、これを索引に『日記』を繰れば、さらにその詳細を知ることができるからである。
 内容は、藩主の行動(冠婚葬祭・行事・交遊など)や本藩との関係ばかりでなく、家臣の動静(人事・冠婚葬祭・交通・褒美など)、村方の諸事件など極めて多岐にわたり、しかも事細かである。
 この『日記』および『日記目録』は藩庁・請役所で作成されたと考えられるが、他の日記(『御次日記』『御状方日記』など)ともども、その書誌的考察・性格付けなどの詳細は今後の課題である。
 また、『日記目録』も『日記』も全時代分が残っている訳けではない。それでも『日記目録』は三三冊、寛文元年(一六六一)分から始まり慶応元年(一八六五)年までの一四〇年分、ちょうど七割が残る。一方の『日記』が、およそ宝暦五年(一七五五)から始まり、文化・文政期以降は年間五冊以上の大部となり、しかも欠本があるのと比べ、『日記目録』は偏りがなく、扱い易いといえる。
 さらに、初代藩主元茂、3代元武、4代元延等の『年譜』が編纂されて残るが、藩政の前半・一七世紀に偏り、扱いには一定の批判を必要とする。しかし、『日記』および『日記目録』は編纂物ではない、生の史料・記録であるところが最大の魅力といえる。
 その一方、この『日記目録』(『日記』も含め)の全体を閲覧した研究者は皆無と思われる。全国的に見ても、藩政史料の残存は限られており、しかも公務日記類は必ずしも残っていない。それゆえ、活字化されたものは少なく、まして支藩の日記が紹介された例は聞かない。このように画像化されて提示されるのは初めてである。
 なお、上述のごときこの史料の性格からは抽出した利用(特定の分野・領域・項目を選出し、全国的に比較するなど)も考えられ、その意味でも幅広い利用価値のある史料といえる。
 以上のごとく、『日記目録』は小城藩政史、また近世史研究の基礎史料として極めて利用価値の高いものであり、ここに広く公開し、研究・利用を勧めるものである(平成13年度の画像化分は明和元年までの10冊である)。
(宮島 敬一)