立場附の解説

一、解説

 本書は表題からも明らかなように、道中における「立場」の情報を記載したものである。「立場」とは、街道の宿場間の村々に建てられた休息所で、旅人やかごかき、人足が杖を立てて休むので立場という名が生じたという。宿間におよそ一ヶ所から二ヶ所設けられ、宿間の距離が短いところは無いこともあった。一般に宿場の出入り口や街道の要所、風光明媚な場所に置かれた。立場には立場茶屋と呼ばれる茶屋があり、土地の名物を用意していた。近世後期のベストセラーである『東海道中膝栗毛』にも立場は多く描かれている。
 例えば東海道由比宿(現静岡県庵原郡由比町)と興津宿(同興津町)との間にあった倉沢という立場に、主人公弥次郎兵衛と北八が通りかかる場面は次の通りである。

それより由井川を打越、倉沢といへる立場へつく。爰は鮑栄螺の名物にて、蜑人すぐに海より、取来りて商ふ。 (二編上)

 また、金谷・日坂間の小夜の中山の立場の場面では、

こゝは名におふあめのもちのめいぶつにて、しろきもちに、水あめをくるみていだす。 (三編上)

(『東海道中膝栗毛』上、麻生磯次校注、岩波書店、一九七三年第一刷)

という具合にいずれも土地の名物が描かれていて、当時の立場の様子がうかがえる。
 本書にはこうした名物などの詳しい記述はなく、宿から立場へ、立場から立場へ、立場から宿への里程を記すことを目的としている。それに加えて、道中にある川、峠、分かれ道、城、陣屋、国境などの情報を簡略ではあるが合理的に記載している。
 巻一には東海道品川から熱田までと、熱田から大坂まで。巻二は中山道板橋から下諏訪までと、下諏訪から草津まで。巻三が甲州道中内藤新宿から下諏訪までと、「泊附」として大坂から下関、下関から平戸、平戸から時津までの海路を記す。巻四は山崎通伏見から西宮までと、山陽道大坂から赤間関まで。そして巻五は西国路として大里から長崎までと、筑前路として木屋瀬から平戸までといった、九州内、特に筑前から肥前までの行程を詳しく記す。
 五巻を通して見てみると、本書には江戸より北へ向かう日光街道や奥州街道は一切記されていないことから、西国の人々向けに刊行されたものではないかと考えられる。
 さらに、巻一・二・四・五には宿場、立場の下部に朱筆の書き入れが見られる。これは各宿の本陣や立場の茶屋主人の名であり、時には立場の下部に「野立」という文字も見える。
 小城鍋島文庫には、『文政十一年子年木曽路街道道中日記』という小城藩主の参勤交代の道中記録があるが、これに記されている本陣や茶屋主人名と重なる部分が多いことから、本書に書き入れをしたのは小城藩士で、書き入れは参勤交代の記録と言えるのではないだろうか。
 参勤交代の大名は昼休みも宿場の本陣を利用することになっていたが、財政が苦しい藩は倹約のために、立場で休憩をとることも多かった。
 同じ文政十一年に江戸から下向している、柳河藩立花家の道中日記と比較してみると、立花家が休憩も本陣を利用しているのに対し、小城藩は休憩には立場を利用しており、時には茶屋にさえ寄らず、野点を行っていることから、道中倹約に勤めている様子がうかがえる。このことから考えても、小城鍋島文庫に残る本書は、小城鍋島家の参勤交代に「立場」というものがいかに密接した重要な存在であったかを明示している史料と言うことができるのである。
 宿間における主な「立場」を列挙し、距離関係を明記することを目的とする編集意識は、他の道中記にはあまり見られず、近世交通史から見ても注目すべき史料と言えるのではないだろうか。さらに『国書総目録』によっても『立場附』の残存状況は判然としない。その中で本書は大変貴重な一本である。

(勝野寛美)